アサヒシューズ
アサヒシューズの創業は、仕立物業「志まや」として1892年に遡ります。1900年代に入ると、仕立から足袋事業へと舵を切っていきます。
足袋をつくりながら、炭鉱で働く人々の為に滑らない波形のゴム底をつけた地下足袋「貼付式地下足袋」を開発したのが100年前のこと。ゴム底と布の部分を接着剤で貼り付けるこの方法は、丈夫で水漏れもしにくいということで、炭鉱で働く鉱夫の方から大変に喜ばれました。針で縫い付ける縫付式足袋が常識だった当時としては画期的なことであり、履物史上の革命とも言われました。また、ゴムを布に頑丈に貼り付けるという製法は、現在にも続くアサヒのコア技術になっています。
1920年代には靴の製造を開始。「アサヒ靴」として国内のトップメーカーとしての地位を確立していきます。戦中戦後の苦境の後、1970年代に入ると、「ものづくり大国ニッポン」の名前さながら、ナイキの靴の生産を請け負うなど、世界のトップメーカーとしての地位を築いていきます。しかし、その後、オイルショックに始まるコスト上昇やプラザ合意後の円高の中、海外からより安い商品が輸入されるようになりました。アサヒシューズは苦境に陥り、1998年には会社更生法の手続きを受けることになってしまいました。
しかし、その間もフロンティア精神は代々受け継がれ、“健康”に特化し、子どもから高齢の方まで幅広い人々に愛用される“快適”な靴を追求し続けています。更生法適用中であった2000年に医療機関と共同開発した「快歩主義」は、翌年グッドデザイン賞も受賞し、累計1000万足を売り上げるヒット商品となりました。この快歩主義シリーズの特徴は、徹底的にシニアに特化した靴であり、異形マジックテープを用いてデザインと履きやすさを両立していることが挙げられます。つま先も数ミリ上へ向けており、つまずきやすい高齢者の転倒対策も施されています。さまざまな色の商品があるなどファッション性も重視しており、ラインナップも豊富に取り揃えています。
一方、生産に関しての「選択と集中」については、同社は今まで中国を中心としたアジアで生産を行い、そこから輸入して販売を行ってきました。安い労働力を背景に海外工場の生産にシフトしていたのですが、それを今、国内生産にすべて切り替えようとしています。それは、高品質の製品を生産していくためと、流通システムの需要と供給のバランスをとるためです。
アサヒシューズは「あなたと人生を共に歩く靴」 をモットーに『歩くのが楽しくなる靴 』『健康になれる靴』『丈夫で美しい靴』の開発を続けています。