从残疾医学模型到社会模型

障害の医学モデルから社会モデルへ

佐賀住まい・福岡勤務の作業療法士の橋間葵です。


先日、大きな社会的ニュースとして国連が「障害児が特別支援学校や特別支援学級に「分離」されることで通常の教育を受けにくくなっている」と懸念を表明しました。


また、精神科医療についても、強制入院は障害に基づく差別であり、強制入院による自由の剥奪を認めている全ての法的規定を廃止するように求めました。


ブログを読んでくださっている皆さんは、どのように感じたでしょうか。

「障害児は分離され、通常の教育を受けにくくなっている」国連、日本政府に“分離教育”やめるよう要請


昨今のリハビリ業界も、障害の医療モデルから社会モデルの考えに変わりつつありますが、まだまだ柔軟な対応はできていないように感じます。


医療モデルとは、障害は機能障害に起因するとし、障害を個人の問題と捉え、治療は専門的な個別的な医療が必要であるという考え方です。


障害の社会モデルとは、障害は個人の問題・責任ではなく、障害のある人が不自由なく社会参加する上で必要な配慮を社会が提供しないため、社会がその不利益の解消の責任を負っているとするものです。


障害の社会モデルの考えは、障害者権利条約にはなくてはならない考え方です。


障害者権利条約の意義として、「障害の医学モデルから社会モデルへ」「地域での自立した生活」「合理的配慮」などがピックアップされています。


「障害」はだれにもあります。


こういうと勘違いされるかもしれません。


しかし、障害を作り出しているのが「社会」であるという見方を行うと、誰にでも「障害」があることがわかります。


社会で生活するにあたって障害がないと感じる人には、すでに必要な配慮がなされているだけなのです。


例を挙げると、わたしは右膝が悪く床からの立ち上がりを行うのが難しく、また正座もできません。


もしわたしが、生活する中で正座をしなくてはならない環境ばかりで過ごしているのであれば、わたしには障害があると言えます。


わが家にはコタツやちゃぶ台はなく、テーブルと椅子生活です。


畳に布団を敷いて寝る生活ではなく、ベッドに寝ています。


何げなく整えているように見えるわが家ですが、わたしにとっては必要な配慮がなされている状態です。


また、わたしは子供が産めない体です。


今でこそ、子供がいないことを指摘したり驚く人は少なくなりましたが、10年以上前は差別的な発言をする方々は周囲にたくさんいました。


10年くらい前から、社会的にハラスメント発言が問題視されるようになり、子供を持たないわたしに対する差別的な発言は少なくなってきました。


わたしはこのような生活を行い、経験をしてきましたが、わたしはなんら変わっておらず、変わったのは社会的な風潮だと考えています。


この社会が変わるべきであること、社会側の障壁を排除する考えこそが障害の社会モデルです。


社会が変わっていく中で大切なことは相互理解だと思っています。


わたしがこれまで開催してきた脳卒中当事者会では、脳卒中当事者の方だけにご参加をいただいているのではなく、医療・保健・福祉従事者や学生さんにも参加していただいています。


脳卒中当事者のみなさんにとっては、当事者会だからこそ安心して話せる場を、医療従事者などのみなさんにとっては障害の社会モデルを知り双方向のコミュニケーションの大切さを学ぶばとなると考えています。


秋のさまざまな学会参加が終わった後、はやく当事者会を再会できるように準備していきたいと思っています。


引用・参考
1)池田 保 他:「障害の社会モデル」の視座から捉えたICFの課題と作業療法における社会参加の支援についての一考察.作業療法の実践と科学 4(1):715,2022

https://www.jstage.jst.go.jp/article/psot/4/1/4_7/_pdf


☆*:.。. 最後まで読んでいただきありがとうございました .。.:*☆

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この文章は、橋間葵さんブログ「脳卒中リハビリよろず屋相談所」2022年10月5日のブログより転載させていただきました。

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